とりあえず今日を乗り切りましょ





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いくられ家のお宝?! :: 2010/04/01(Thu)

いくられ家には、

ひょんなことで入手した置き物がある。

いくられオットが持ち込んだモノで、

いくられオットの友人の恩師の遺品である。

それは

木製で、

いくられからみたら、

上下をもってビヨーンと伸ばした(曲線、はいってます)、

ちょとノッポな

変形ピラミッド的な形状である。。。


上部にルビーのような赤いガラス球がほどこされていて、


○ルミナティの

目!

のようだぁ。。。


真ん中には

磔のキリスト。

その下に

六芒星のような形状のシルバーのマーク。。。

いくられオットの知人の恩師は

クリスチャンであられたのは存じている。

でも、

この先の追及
(プロテスタント? カトリック?
○ルミナティの目はいつ頃シンボルに?
そもそも目か?六芒星はその後?先?)

となると

筆が鈍る。 てか、

知らない(スイマセン)。 





いいやな。


厚い信仰がおありの方で、

孤児のための学校を設立なさった、有名な方だった。

その恩師の魂をいくられオットの知人はいまも崇拝している。

そして私も人伝、書物にて拝察し、

尊敬している。

信仰を尊敬しているのではなく、

人を尊敬しているのです。

その方が心にピッタシくる。


信仰とは

その人の信念の為の 

手段なのかな。


信仰自体の崇拝が進んで、

人々は


ゴミや埃や誇りやなんやかやを

それぞれの信仰にくっつけ続けてきた。


そして世界は、

それぞれのココロが 

分離して

縦割りになって


脈々と

営々と

進んできた。



そろそろ

終わりましょう。



っていって

終われるものなら

いいんですがね(笑)



いくられの実践法としては、

こうして 

神棚に神道のお札を置き、

そのそばに

曹洞宗(実家がそう)のお経の本を置き、

階段にクリスチャンの置き物を置く。

のです。

単に 一貫性がないともいう。

よくいえば、


とりあえず、

共存

してるよね?

 


いくられ 拝

  

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